大判例

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東京高等裁判所 昭和61年(う)764号 判決 1987年8月20日

主文

原判決を破棄する。

本件公訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人木宮高彦、同青木荘太郎、同野邊博が連名で提出した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

本件公訴事実は、「被告人は、昭和五七年四月二七日午後三時四〇分ころ、山梨県公安委員会が道路標識によつて最高速度を七〇キロメートル毎時と定めた山梨県東山梨郡勝沼町大字上岩崎字柿木平七七四番地付近の高速自動車国道中央自動車道西宮線下り八八・九キロポストにおいて、右最高速度をこえる九五キロメートル毎時の速度で、普通乗用自動車を運転したものである。」というのである。

記録によれば、右の九五キロメートル毎時という速度は、取締り中の警察官が日本無線株式会社製レーダー式車両走行速度測定装置JMA−2A型を使用して測定し、これにより記録されたものであるが、被告人及び原審弁護人は、原審で、右測定機による測定は誤りであり、被告人車両の速度は九五キロメートル毎時未満であつたと主張した。原判決は、右公訴事実を認めて、被告人を罰金一万七〇〇〇円に処した。本件はこれに対する控訴事件であるが、控訴趣意は、右の速度に関する主張を基礎として、原判決の理由の個々の点についての理由不備、理由のくいちがい、訴訟手続上の法令違反、法令適用の誤り、事実誤認等をいうものであるところ、本判決は主文のとおり原判決を破棄するものであるから、論旨のうち必要と認めるものについてのみ判断を示すことにする。

控訴趣意第二点について

論旨は要するに、原判決は、信用することができない証人吉井正吉の供述を採用して、本件測定機では二三度付近より浅い角度では速度測定が開始されないことは、日本無線株式会社によつて一〇〇〇台以上の種々の車種の自動車を用い、走行状態を変えるなどして多数回にわたつて行われた実験の結果によつて実証されている旨判示し、被告人に有罪を言い渡したが、その実験データが証拠として提出されていない上に、その実験精度や実験方法等の実体が明らかでなく、同証人の供述内容自体も右認定事実を裏付けるに足りる科学的合理性がないから、原判決の右判断には、合理的な理由が付されておらず、経験則に基づく採証法則に反する違法があるというのである。

そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討すると、原審証人吉井正吉は、日本無線株式会社横浜工場の品質管理課長として、同工場で製造される電子機器の性能の検査、品質の保証及び性能の維持、管理等の職務に従事している者で、昭和四八年から同五二年一月までレーダー式速度測定装置の製作、調整及び検査等の業務に携わつており、所論指摘の事項に関して証言するに足りる専門家としての知識と経験を有していること、原審において六回にわたり証人として出廷し、その知識経験に基づき誠実に供述していること、その供述中誤つていたあるいは不正確であつた部分はその後において率直かつ正確に訂正していることが認められるのであつて、同証人が本件測定機を製造販売する右会社の従業員であるからといつて、所論のように公正な証言をすることができる立場にないなどとは認められず、その供述はそれなりに信頼し得るものと認められる。

右証人吉井の供述その他関係証拠を総合すると、まず、次の事実が認められる。本件測定機は、電波のドプラー効果を応用して車両の走行速度(速さ)を測定する装置であつて、周波数一万〇五二五メガヘルツのマイクロ波を発射し、向かつて走行して来る対象車両からの反射波を受信し、両者をホモダイン検波して得たその差である偏移周波数(ドプラー波)の信号を六五個数えるのに要した時間を計測し、これに基づいて車両の速度を計算し、これを表示し、かつ印字記録する仕組みになつており、電波ビームの投射方向が道路と二七度の角度をとるように設置して使用するように定められている(零度ないし一〇度に設置することもできるが、本判決では二七度に設置する場合だけを考察する)。そして、水平方向では、右二七度線の前後各四度、すなわち、二三度線と三一度線の間の範囲がビーム幅(半値幅)とされ、その間を車両が通過する際に速度測定が行われるようになつているが、測定速度にプラス誤差が出ないようにするため、速度計算に際しては常に二三度線上で測定されたものとして、角度による誤差を修正するのにコサイン二三度の価を用いて行い、更に、これによつて得られる数値に対し測定値が〇・七二パーセント低くなるように設計されており、また、速度を表示及び印字するに当たつて一キロメートル毎時未満の端数は切り捨てる機構になつている。

そして、同証人の供述によれば、前記会社では、昭和四〇年代及び五〇年代の始めごろに新横浜駅付近等において、路上に一メートル間隔で三か所にテープスイッチをはりつけ、その上に種々の車両一〇〇〇台以上を種々の走行状態で走らせ、テープスイッチで走行車両の実速度に近い数値を得て、これとレーダー式速度測定装置(本件測定機より旧型のものであるが)が測定表示した同じ車両の速度とを比較する実験を繰り返したことが認められ、同証人は右実験結果を根拠として、道路との角度二三度未満では速度測定が行われない旨供述している。なるほど、所論の主張するように、右の実験結果だけからは、正確に角度何度から歯抜け現象による中断なしに測定が行われるかについての実証はないといえるであろう。しかしながら、同証人の右実験結果を含む知識経験に基づく供述によれば、少なくとも、本件測定機は、正しく設置、使用され、正常に作動している限り、車両の実速度より高い速度を表示する(プラス誤差を生ずる)ことはないことが実証されているということは、一応肯認することができるし、このことから二三度未満で測定することはないといつても誤りではないと解される。このことはまた、弁護人請求の当審証人脇坂成人の供述によつても認めることができる。なお、吉井及び脇坂は前記実験結果を直接覚知した者と認められるから、同人らにこれについての供述に伝聞性はないというべきである。

所論は、本件測定機は道路との角度二三度未満の領域で速度を測定することがあり、その結果プラス誤差を生ずる可能性があると主張するので考察すると、証人吉井は、前記のように本件測定機は二三度未満で速度測定をすることはないと供述するが、道路に対し二七度に設置すべき右測定機を二六度に設置し、二二度で測定したと仮定した場合については、当初、九五キロメートル毎時の車両の測定値を九四キロメートル毎時と表示すると述べ、後にカウントミス(偏移周波数六五波を数える時間を計測する一個二〇〇万分の一秒の波動の始めと終わりにおける半端から生ずる誤差)を考慮に入れるとプラス誤差を生ずることがあると訂正した(原審第二三回公判)。しかし、この場合でも、本件測定機は一キロメートル毎時未満の端数を切り捨て、九五キロメートル毎時と表示するのであるから、表示上プラス誤差が出るのではない。もつとも、九四・九キロメートル毎時で走行する車両でも、これを二二度で測定したと仮定し、カウントミスを含めたマイナス誤差を設計上の最小値である〇・五九パーセントとして計算すると、本件測定機は九五キロメートル毎時と表示することになることは、所論のとおりであると認められる。しかしながら、本件測定機が偏移周波数(車両速度九五キロメートル毎時の場合約一七〇〇ヘルツ)を連続六五波数えて車両の速度を測定する間に車両は約一メートル進行し、これに伴い測定角度(測定機と車両を結ぶ線と車両の進路との作る角度)も当然変化する。したがつて、追越車線の二二度線上で測定が開始されたとしても、測定の終了は二三度線をはるかに超えた電波ビーム内になつて、プラス誤差を生ずることはない。平均角度二二度で測定が行われるためには、車両の先端が二二度線に達する数十センチメートル手前で測定が開始されなければならないことになるが、その辺は電力が微弱なため測定が開始されることはないと考えられる。

ところで、論旨は原判決の理由不備ないしは訴訟手続上の法令違反(経験則違反)を主張するものと解されるが、証拠により罪となる事実を認定した理由を判決に具体的に示すことは法律上要求されていないのであるから、所論指摘の原判決の判断に何ら理由不備は存在しないのみならず、以上考察したところによれば、同判断に所論のような違法があるとは認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点について

論旨は要するに、原判決が第一回検証の際の試走テストの結果を信用し得ないとし、第二回検証の際の測定実験結果を十分信用できるとした点には、理由不備、証拠に基づかない認定及び経験則違反があるというのである。

そこで検討すると、原裁判所は、昭和五八年一月一八日及び昭和五九年一一月二一日の二回検証を実施し、本件取締りに使用した測定機による測定実験を行つた。原判決が第一回実験の結果を信用できないとし、第二回実験の結果を信用できるとしているのは、所論のとおりである。

まず第一回検証の結果を見ると、一回目は、車両の速度計の指針四五キロメートル毎時位、測定機の表示四二キロメートル毎時、二回目は、前者が四三ないし四五キロメートル毎時位、後者が四七キロメートル毎時であつた。このように測定速度にプラスマイナスの大きな相違が出たこと自体から、この実験に何らかの欠陥があつたのではないかと疑われることは確かであるけれども、それでも本件測定機は現に二回とも測定を行い速度を表示しているのである。原判決は、この実験結果を信用し得ない理由をいくつか挙げているが、走行距離が六〇ないし七〇メートルというのは考えられない短かさで、これを目測だけで認定したことには疑問がある。車両の速度計を読み取つた地点がおおざつぱであつたことや、速度計の特性も挙げられているが、特にプラス誤差の出た二回目の実験の際、具体的にどのような欠点があつたのか、例えば急加速中であつたとか、急ブレーキをかけてスリップしたとかの事実は示されていない。車両には裁判官、検察官及び弁護人も乗つていたのであるから、走行方法や指針の読み取りなどが不適当であれば、これに気がついてやりなおすなどの措置がとられたのではなかろうか。

次に第二回検証の結果は、原判決記載のとおりである。原判決は、パトカーの速度計は実際の速度よりも低い速度を表示するように基準が指示され調整されているところから、第二回検証に用いたパトカーの出荷時のメーカーの監査工場における検査結果による速度計のマイナス誤差を、実験の際の速度計の指針表示に上乗せしてこれを実速度とし、本件測定機は三回ともこれより低い速度を表示しているから、常にマイナスの数値が出ることが実証されている旨認定している。しかしながら、この速度計の検査は昭和五九年六月六日に行われたものであつて、約半年後の第二回検証の時までその誤差が変化していないという保証はない。もし、速度計のマイナス誤差を上乗せするのならば、実験に際しあらかじめこれを測定しておくべきであり、半年も前の検査結果を持つてくるのは適当でない。なお、原判決の認定に従つても、七回目の本件測定機による測定速度と実速度との差は少なく、角度二七度付近で測定したものとは認められないことは、所論のとおりである。更に、七回の測定実験のうち四回まで測定結果が得られなかつたのであるが、その原因は究明されていない。原判決は測定ボタンの押し遅れと推測しているが、経験豊富な取扱者が四回もボタンを押し遅れるなどということがあり得るのであろうか。原判決が残る三回だけの数値に右上乗せをして、常にマイナスの数値の出ることが実証されたようにいうのには疑問がある。

このように、右各測定実験の結果に対する原判決の評価には疑問があり、右各実験は、むしろ本件測定機が、その設置場所及び設置方法の適否、対象車両の進路など、容易に確認し難い原因によつて誤つた測定をする可能性のあることを示すものではないかとも見られるのであるが、これは証拠の証明力の判断に係る問題であつて、原判決の判断に所論のような理由不備がないことはもちろんであるが、その他の訴訟手続上の違法があるものとまでは認められないし、また、この点の判断の相違が必然的に判決の結論に影響を及ぼすとも認めれないので、論旨は理由がない。

控訴趣意第五点について

論旨は要するに、原判決は、被告人車両が斜行していた疑いがある旨及び本件現場がカーブの場所である旨の弁護人の主張を何らの理由も示さずに排斥しているが、本件現場道路は緩やかな左カーブであり、また、本件測定機設置地点を過ぎると間もなく一車線になるので、被告人車両は左へ斜行していた蓋然性が極めて高いのであつて、原判決には理由不備及び判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるというのである。

そこで検討すると、司法警察員作成の実況見分調書、同実況見分の補充捜査報告書、原審の昭和六〇年一月一一日付け検証調書及び被告人作成の現場付近写真綴を総合すると、本件測定機設置地点から見て大月インター(東)方向も勝沼インター(西)方向も緩いカーブ(大月方面からの走行車両から見て左カーブ)になつており、本件現場もそのカーブの一部であると認められる。しかし、本件現場付近道路のカーブは極めて緩く、速度測定に直接関係する測定機から東に三〇メートル程度の間だけをとつてみれば、これを直線と見て全く差し支えないと認められる。また、仮にカーブであることの影響があつたとしても、本件測定機は曲線の内側に設置されていたのであるから、曲線に従つて走る車両の測定角度は直線道路の場合よりも大きくなり、誤差はマイナスになるので、この点において原判決に判決に影響を及ぼす事実誤認はない。しかしながら、取締り警察官岡雄司の証言にもかかわらず、被告人車両が斜行していた可能性は否定できない。同警察官は、約二五〇メートル前方に追越車線を走行して来る被告人車両を認めた後、同車両が走行車線を走行する一台の乗用車を追い抜いたのを目撃したことが認められる。また、本件自動車道は、当時、本件現場から約一キロメートル先の勝沼インターで終わつており、そのため、そのかなり前から一車線になり、追越車線を走つて来た車は左に寄らなければならないようになつていたのであり、被告人はそのことを知つていたことが認められる。本件のように二車線の道路においては、車両は原則として走行車線(左側車線)を走らなければならないのであり、前記乗用車のほかには、被告人車両の近辺に他の車両があつたことは認められないから、追抜きを終わつた被告人としては、走行車線に戻ろうとするのが自然である。しかも、ここは左カーブであるから、左に寄つたほうが距離が短くなるし、いずれ少し先では左に寄らなければならないのであるから、早めに左に寄つたほうが賢明である。そうしてみると、被告人が本件測定現場付近で徐々に左へ寄り、走行車線に移ろうとしていたことは、運転者の心理として大いにありそうなことである。被告人自身は、速度取締りの行われていることを知らないで普通に勝沼インターまで走行して来て警察官に停止を命じられたものと認められ、本件現場付近をどのように走行していたかについてあまり具体的な記憶がないようであり、どの車線を走つていたかについての原審公判における供述も意味不明瞭であるが、追越車線を走つていたが左に寄りつつあつたという趣旨に理解されるところ、それが意図的に作り上げた供述であるようにも思われない。

ところで、車両が道路に平行でなく、斜めに進行しているとき本件測定機でこれを測定すると誤差が出ることは、原審証人吉井正吉、同野崎咲夫及び当審証人脇坂成人のいずれも供述するところである。左へ斜行するときは、道路に平行に進行するときより測定角度が小さくなるから、測定値が大きくなる。したがつて、道路に対し角度一度でも左へ斜行すれば、表示される速度が一キロメートル毎時増えることがある。二度斜行すると、全速度と対比してプラス誤差の出る蓋然性がある。道路と進路との角度は、一メートルにつき一・七五センチメートル寄ると一度に、三・四九センチメートル寄ると二度になるが、この程度の斜行は、見ても気がつかない場合があると思われる。以上のことから考えて、被告人車両は測定当時左へ斜行していた可能性がかなりあり、その結果、測定機に表示された九五キロメートル毎時という速度はプラス誤差のあるものであつた疑いがある。したがつて、被告人車両の当時の走行速度は、わずかであるにせよ、九五キロメートル毎時を下回つていたという合理的な疑いがある。

原判決が本件現場のカーブであること及び被告人車両の斜行していた疑いを否定したのは、証人岡雄司のこれに沿う供述など原判決の掲げる関係証拠によつたものと認められるから、これに理由の不備、くいちがいはないが、右判断を資料として被告人車両の速度を九五キロメートル毎時と認定したのは、事実誤認といわなければならず、この誤認が判決に影響を及ぼすことは、以下に述べるところから明らかである。論旨は結局理由があり、以上の外の論旨について判断するまでもなく、原判決は破棄を免れない。

更に職権で調査すると、右に述べたところによれば、被告人が本件において普通乗用自動車を運転進行していた速度が指定最高速度を二五キロメートル毎時以上超える九五キロメートル毎時以上であつたことの証明がないので、本件は、道路交通法(昭和六一年法律第六三号附則三項、四項により適用される同法による改正前のもの。以下同じ。)一二五条一項、別表の定める反則行為に当たり、被告人は同条二項の定める反則者に当たると認められる。したがつて、被告人は、道路交通法一三〇条により本件行為につき反則金の納付の通告を受け、所定の期間が経過した後でなければ公訴を提起されない地位にあると認められるところ、被告人に対し右通告の手続きが履行されたことは認められないから、本件公訴提起の手続きは右規定に違反し無効であつたことに帰着する。そうしてみると、原裁判所は、前記事実誤認の結果、不法に公訴を受理したことになるので、この点からしても原判決を破棄しなければならない。

そこで、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条、三七八条二号により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により被告事件について更に判決する。

本件公訴事実は前記のとおりであるが、右に述べたとおり、本件公訴提起の手続きは道路交通法一三〇条の規定に違反したため無効であるから、刑事訴訟法三三八条四号、四〇四条により本件公訴を棄却することとする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小野慶二 裁判官佐野昭一 裁判官安藤正博は、転任のため署名押印することができない。裁判長裁判官小野慶二)

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